マラソン


2005.9.23 他人事だから平気? 【マラソン】

                     

評価:3

■ヒトコト感想
「自閉症は病気ではなく障害だ」この言葉を聞いたとき、心では理解しているのだが いつか自閉症が治るのではないかという気持ちは捨てられない。 本作を見た直後は、子供もいない僕でさえ自閉症児を持つ母親の気持ちに共感してしまい、 希望を捨てられず、またそれにすがりながらも自分が生きるための生き甲斐にする気持ちが わからなくもなかった。 自閉症児を持つ母親と家族、それに関わる周りの人間の心理や行動を非情に的確に表現している。

■ストーリー
20歳の青年・チョウォンは自閉症の障害を抱えており、5歳児程度の知能しかない。 コミュニケーション能力に欠けている彼に社会生活は難しく、母親のキョンスクが常に世話をしていた。 そんな中、キョンスクは息子が走っている間だけは、楽しそうにしていることに気づく。 ハーフマラソンではなんと3位に入賞。フルマラソンに挑戦させたいと考えたキョンスクは、 かつて名ランナーとして知られたチョンウクにコーチを頼む。 しかし、熱心な母の姿を見て彼は言う。「チョウォンにマラソンをさせるのは、母親の“エゴ”ではないのか」と。

■感想
自閉症を抱えた人物を取り扱った映画は過去にいくつかあるが、本作はそれにマラソンを絡め より周りの人間、とりわけ母親との関係を深く描いている。 最初見た印象では、母親に厳しくしつけられ、悪いことをすれば「注射をする」 と言って脅し、言うことを聞かせる。 その延長としてマラソンを走らせているのかと思っていた。 まさしく本作に出てくるコーチと同じような印象を持っていた。

相手の本当の気持ちを知ることができずに、自分がよかれと思ってやっていたことが実は相手の重荷に なっていたなんてことはよくあることだが、本作でもその普通に起こりうることを、自閉症児ならば より顕著に起こる可能性があるということを示唆している。 物語の本質はそこではないのだが、母親のエゴも理解できなくもない。

チョウォンとコーチの関係はとても面白かった。チョウォンがどこまで理解できて、 どこまで考えることができるのか不明なのだが、 自分のすももがコーチに食べられないように練習中にバックを持ちながら走ったり、 コーチが進める食べ物は絶対に口にしない。理性を押さえることはある程度できる というのを表現しているようだが、一方ではシマウマが好きでシマウマ柄を見ると触りたくなってしまい、 その衝動を止めることができない。 このへんで見ているうちに、忘れかけていたチョウォンの自閉症という障害を思い返した。

チョウォンの些細な仕草や表情が悲しさをさそう。 これがどういう気持ちで悲しく思うのか自分でもよく分からない。 哀れみなのか、悲しみなのか、それとも感情移入して本人の気持ちになってのことなのか・・・。 コメディタッチの部分もあるのだが、そこでもちょっと痛々しさを感じたりもしてしまった。

どうやら本作のモデルになった人物がいるらしく、マラソン以外にもトライアスロンも完走しているようだ。 実際にこのような人物が存在するとなると、途端に痛々しく感じてしまうのは 僕自身が虚構の中の世界では容認できるが、 実際にその自体に直面すると父親のように逃げ出してしまうタイプだからだろう。



おしらせ

感想は下記メールアドレスへ
(*を@に変換)
pakusaou*yahoo.co.jp