きよしこ 重松清


2007.3.30 清らかな少年 【きよしこ】

                     
■ヒトコト感想
一学年に一人ぐらいは吃音の少年はいたような気がする。きよしという吃音の少年の成長物語だろうかと考えると、特別そうだとは思わなかった。それぞれの短編できよしという少年と周りの人々の交流を描いている。吃音だからという内容ではなく、吃音が一つのエッセンスとして物語に変化を与えている。言いたいことがすぐに言えず、別の言葉で置き換えながら話をする少年。いじらしくもあり、不憫でもある。しかしそんなことを微塵も感じさせない真っ白いシーツのような清らかさをきよしという少年から感じ取ることができた。

■ストーリー

少年は、ひとりぼっちだった。名前はきよし。どこにでもいる少年。転校生。言いたいことがいつも言えずに、悔しかった。思ったことを何でも話せる友だちが欲しかった。そんな友だちは夢の中の世界にしかいないことを知っていたけど。ある年の聖夜に出会ったふしぎな「きよしこ」は少年に言った。伝わるよ、きっと―。

■感想
吃音イコール知的障害という間違ったイメージをもっていた。小学生時代に同級生にいた吃音の少年は本作のきよしと同じ気持ちでいたのだろうか。慣れてしまえばそれも一種の個性として捕らえていたあのころも、本人からすれば抗いようのないハンデだったのだろうか。異常と正常に分けるつもりはないが、普通に話せる人にあこがれるのだろうか。

きよしという少年はハンデを持っているから人に優しくできるのだろうか。それとも元々の性格なのだろうか。残酷なほど他人に対する気遣いがない少年時代であっても、きよしはどこか他人の痛みがわかるような優しさを持っているような気がした。転校を繰り返す小学生時代。野球部でのちょっとしたいじめに出会う中学時代。そして進路と恋愛に悩む高校時代。これだけ見るとまったく普通の健康な男と変わらない。

きよしという存在は吃音を抜きにしたらと考えたとき、どう想像すればよいのだろうか。ただ普通の男と変わらないのは確かだ。吃音がどれほど社会にでてハンデになるのかわからないし、身近にいないので想像すらできない。小学生のとき同級生だったあいつはうちにこもって話をしなくても良い職業についているのだろうか。それとも吃音を克服しているのだろうか。

本作を普通の人が読むと関係のない他人の物語として客観的に楽しめるだろう。これはあくまで予想でしかないが、吃音の人が読むとその人自身になにか大きな力を与えるような気がする。




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