2006.12.24 海外物の翻訳風な会話 【風の歌を聴け】
評価:3
■ヒトコト感想
なんとなく違和感を感じていた文体の正体がわかった気がした。海外の小説を翻訳するとちょうど本作のようになる気がする。会話の節々に小粋なユーモアがちりばめられ、バーでビールを飲み、女の子と仲良くなり体の関係をもつ。当たり前の日常のような雰囲気をだしてはいるが、あたりまえではない。会話の一つ一つが普通に日常で使う言葉ではなく、どこか小説のために作られた会話のような流れ。頭に思い浮かべるイメージは西海岸あたりの寂れたバーで白人の青年が友達とビールを前にしてしゃべっているそんなイメージだ。
■ストーリー
一九七〇年の夏、海辺の街に帰省した“僕”は、友人の“鼠”とビールを飲み、介抱した女の子と親しくなって、退屈な時を送る。二人それぞれの愛の屈託をさりげなく受けとめてやるうちに、“僕”の夏はものうく、ほろ苦く過ぎさっていく。青春の一片を乾いた軽快なタッチで捉えた出色の作品
■感想
英語で会話していれば違和感のない会話も翻訳してしまうと、どこか不自然な感じをもってしまう。当たり前に日本語を使っている者にとってはそれがたとえ間違った日本語であっても、それが日常会話であり、自然な会話と認識している。もしかしたら本作はまっとうな日本語を正しく使っているがゆえに会話シーンに違和感を感じてしまうのかもしれない。どこか翻訳チックに感じるのもそのせいなのかもしれない。
なんでもない会話をし、意味のない歌を歌い、ビールを飲み、一夜を過ごす。そこに何の意味があるのか、また何を伝えたいのかそして最終的にはどうなりたいのか。それらは一切説明されていない。ただ漠然と進んでいく時間の中で、それに流されながら行き当たりばったりのように人生を過ごしている。退屈な日常のようなに表現をされているが、それほど退屈ではないようにも思えた。何気ない人生をそのまま小説にしたら面白いのか、オチを一切考えずに小説にしたようなそんな気がした。
独特な文章と会話の違和感。これらは海外小説の翻訳のように感じたのだが、人によって感じ方は変わるだろう。流れの中で存在する独特な雰囲気はだそうと思ってもなかなかだせるものではない。この雰囲気が好きか、嫌いか、それによってこの小説の評価が別れるだろう。明確な目的を持って、全てに対してきっちりとした説明があり、オチがある。そんな作品を好む人にとっては、ただの退屈な自己満足小説に思えるかもしれない。
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