本当の戦争の話をしよう 


 2008.6.22  これが本当の戦争の姿だ 【本当の戦争の話をしよう】  HOME

                     

評価:3

■ヒトコト感想
本作は創作であると明言している作者。なんてことない短編が連作モノとして続いているだけかと思った冒頭。しかし、読み続けるうちに本作がとんでもなくリアルに戦争の深い部分を描いていると気づいた。ランボーのようにマシンガンをぶっぱなすだけが戦争ではない。本当の戦争とは、泥臭く閉鎖的で、一人ひとりの人格がはっきりと存在するものだ。戦争自体を大局で見るのではなく、ごく少数の閉じられた世界で語られると、本作のようになるのだろう。一人の脇役的兵士の死など、へとも思わない映画と比べると、本当の戦争を描いているのは本作のような作品だと思わずにはいられない。戦争を忘れた世代、映画の戦争が本当の戦争と勘違いしている世代に読んでほしい作品だ。

■ストーリー

ティム・オブライエンが同じくベトナム戦争について書いた以前の作品── 回想録『If I Die in a Combat Zone』(邦題『僕が戦場で死んだら』)や小説『Going After Cacciato』(邦題『カチアートを追跡して』)―― とは微妙だが決定的な違いがある。これは回想録でも長編小説でも短編小説集でもなく、これら3つの形式を巧みに組み合せた、幻覚を誘発する効果さえありそうな不思議な作品である。

■感想
もともと戦争には何の意味もない。一人の人間として考えた場合、国同士の戦争など本当はどうでも良いことなのだろう。戦争に参加する者の心理。戦場での日常。リアルな戦争を描いた作品は、名作映画として数多く存在している。しかし、そのリアルさというのは、戦闘でのリアルさであり、戦場での兵士のリアルさを語っている。本作のように戦闘地域でのなんでもない日常。戦場でのちょっとした心理。戦場の真っ只中にいながら客観的な見方をする語り口。映画やドラマでは決して語れない部分を描いている。

本作を仮に映画化したとしたら、なんでもない退屈な戦争映画に成り下がるかもしれない。あえて映像化することなく、想像力を働かせることにより、自分の中で本当の戦争像というのが形作られる気がする。手榴弾を投げ込み、激しい銃撃戦の中、なぜか銃弾を受けることなく進む主人公。その傍らでは脇役的人々が次々と殺されていく。その脇役たちには、一切の人格は存在しない。ただ、戦争の激しさをアピールするためのオブジェと化している。そんな戦争映画に慣れた世代にとっては、本作は非常に衝撃的な印象を与えるだろう。

一人の兵士が負傷し、瀕死の重傷を負う。敵に囲まれながらもその一人を助けようと必死になる仲間たち。これが普通であり、当たり前の光景なのだろう。ただ、映画では脇役である負傷者は放置し、主役は真っ直ぐ敵を殲滅するために突っ込んでいく。そんなところで足踏みしてスピード感を損なうわけにはいかないのだ。本作には、驚くようなスピード感や頭が麻痺するような激しい銃撃戦は存在しない。そのかわり、仲間の死を淡々と描いている。昨日まで隣にいた同僚が次の瞬間にはそこに存在しない。現実では感じることのできない空虚感のようなものを本作から感じることができる。

映画やドラマでしか戦争を知らない世代(自分も含め)は、読んだ方がいいのかもしれない。



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