1973年のピンボール 


2007.2.15 軽快な青春小説 【1973年のピンボール】

                     

評価:3

■ヒトコト感想
心地よいたとえ。何かにつけて細かく出てくるたとえ。これがよくわからないたとえもあればしっくりはまるたとえもある。このたとえがあることで軽快なリズムを生み出している。青春小説という触れ込みだが、引き込まれるのは普通の生活描写だ。翻訳会社を経営し、仕事をして家に帰る。この何気ない繰り返しなのかもしれないがそんな普通の生活環境に興味を覚え、文章から目が離せなくなってしまった。ピンボールに熱中する「僕」。仕事とピンボールと双子。それらのキーワードがすべてふっくるめて本作の青春小説というテーマになっているのだろう。

■ストーリー

僕たちの終章はピンボールで始まった雨の匂い、古いスタン・ゲッツ、そしてピンボール……。青春の彷徨は、いま、終わりの時を迎えるさようなら、3(スリー)フリッパーのスペースシップ。さようなら、ジェイズ・バー。双子の姉妹との<僕>の日々。女の温もりに沈む<鼠>の渇き。やがて来る1つの季節の終り

■感想
鼠と僕。二人の普通のようで普通ではない生活が描かれている。一言で言い表すのは非常に難しいが、やさしい文章と難解な表現。一瞬何のことを言っているのかわからなくなりがちだが、自然とその雰囲気に飲み込まれていく。気づけば「僕」の生活に興味がわき、鼠の乾きに共感してしまう。起承転結というのが一切ないように感じるこの作品は、平坦に流れる物語を自分が経験するように楽しむのが良いのだろう。

配電盤のくだりは意味がわからないと取るか、ユーモアにあふれていると取るのか、その人の感性によるところが大きいだろう。「僕」と双子の関係や翻訳会社の共同経営者と雑用をこなす女性。これら「僕」を囲む人々の冷たいとは違う、何かを悟りきったような雰囲気を感じた。「僕」を含めた作品の中に流れ込んでいる静かでそして
ぼんやりとした雰囲気。作中には幸せだという雰囲気は一切流れていないが、少しその生活に憧れてしまった。

「僕」関係の作品で毎回思うのは、「僕」の何に対しても執着心が薄いところだ。金であったり女であったり。そこに人間性を感じないのだが、本作に限っては異常なほどピンボールにのめりこんでいる。その執着心も異常に感じるが、何か少し人間的な部分が垣間見えた気がした。

静かでそしてゆっくりとした作品だ。



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